こんにちは。
民進党から離脱して、
新たに立憲民主党を立ち上げた枝野幸男氏。
10月に行われた衆議院総選挙では、
多くの議席を獲得することに成功しました。
今回は、
そんな枝野氏にまつわる噂を徹底検証していきたいと思います。
枝野幸男の経歴や学歴は?過去のスキャンダルは?
枝野氏は、
1964年、
栃木県宇都宮市に生まれました。
枝野氏の父親は、
洗面台製造会社の社長を務めていましたが、
いわゆる町工場の社長でしたので、
特別に裕福な家庭ではありませんでした。
このことから、
枝野氏は二世議員ではないことが分かります。
中学校卒業後、
県内トップクラスの進学校であった、
栃木県立宇都宮高校に進学します。
高校では、
弁論部に所属していたようです。
このころから、
政治の道を意識していたのかもしれません。
早稲田大学に受かったらジャーナリスト、
東北大学に受かったら弁護士を目指すことにし、
両校を受験しました。
高校3年生の段階で、
将来の方向性をきちんと決めているなんて、
素晴らしいですね。
早稲田大学は不合格となりましたが、
東北大学は合格し、
その後、
法曹界を目指していくことになりました。
東北大学では、
著名な憲法学者、小嶋和士のゼミに所属しました。
このゼミにおいて、
憲法・法律は道具であるという考えを身に着けます。
1988年、
24歳という若さで司法試験に合格します。
その後、
司法修習を得て弁護士となり、
東京の法律事務支所で数年間働きました。
1993年、
日本新党の候補者公募に応募し、
見事合格します。
その後、
衆議院議員総選挙に旧埼玉5区から出馬します。
お金を殆どかけない「手作り選挙」を貫き、初当選を果たします。
選挙後、
非自民・非共産連立政権の細川内閣が誕生します。
枝野氏は商工委員会に所属し、
選挙公約として掲げていた製造物責任法(PL法)立案に携わります。
1994年4月に、
細川内閣が退陣すると、
新しく羽田内閣が発足します。
しかし、
所属する日本新党が、
新生党などを含む統一会派に参加し、
これに反発した枝野氏は日本新党を離党します。
その後、
新党さきがけに合流しました。
1995年から、
薬害エイズ問題の真相究明・責任追及に取り組み、
翌年には橋本連立内閣の菅直人厚生大臣のサポートを行い、
国の謝罪、和解に尽力しました。
2009年、
政権交代により民主党が政権を握ります。
枝野氏は事業仕分けチームの統括役に任命され、
作業を指揮しました。
2011年に発足した菅直人第2次改造内閣で、
内閣官房長官に就任します。
同年9月に、
野田内閣が発足するまでその職を務めました。
2012年12月の衆議院議員総選挙で、
民主党が大敗しましたが、
枝野氏は埼玉5区で当選を果たします。
地域からの支持を手堅く集めることに成功しました。
2014年からは、
民主党の幹事長を務め、
民主党の再生に尽力しました。
2017年に、
民主党が希望の党に合流することによって、
事実上民主党は解党しました。
希望の党は、
枝野氏らリベラル派を公認しないという方針を掲げたため、
枝野氏は自身が代表となり「立憲民主党」を結党しました。
以上、
枝野氏の経歴をざっと概観してみました。
政治家として着実に実績を積み上げてきたことが伺えますね。
ただ、
ここまで堅実な枝野氏にも、
スキャンダルがありました。
民主党幹事長時代、
枝野氏の秘書がアイドルを幹事長室に入室させてしまったのです。。。
というのも、
この秘書が根っからなのアイドルオタクであったらしく、
当の枝野氏もこのアイドルに夢中になっていたとのことです。
上記のアイドルグループのメンバーが、
応援演説に駆けつけたり、
枝野氏が彼女たちのライブを鑑賞するということもあったそうです。
ただ、
巷であがるようなスキャンダルと比べると、
かなり可愛らしいものではありますね。
枝野氏と韓国の関係は?
ネット上で、
枝野氏と韓国がつながっているとの噂が一時期広がっていました。
原因としては、
民主党が韓国系組織と深いつながりにあったためです。
また、
枝野氏はリベラル派を唄っていますので、
その政治的立場からも左派系組織に近いのではないかと言われていました。
ただし、
枝野氏が韓国とつながりがある確たる証拠は今のところありません。
民主党の噂が拡大して、
枝野氏にも及んだと考えるのが無難でしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
枝野氏は今のところ大きなスキャンダルを起こすことなく、
堅実に政治の道を歩んでいるようです。
この姿勢が、
所属政党にかかわらず、
国民から支持を集める要因なのかもしれません。
枝野氏の今後の動向に目が離せませんね。
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