こんにちは。
金曜ロードSHOW! 特別エンターテインメント「人生が二度あれば 運命の選択」に出演する、元アマチュアの野球選手である杉浦正則さん!
過去に、ドラフト会議でプロ10球団からオファーが届いたのにもかかわらず、プロの世界へ行かなかった理由はいったいなぜ??
その理由が衝撃的です!!!
また、
引退後はどんな生活を送っているのでしょうか??
杉浦正則の現在は解説者?
2000年のシーズン後に、
現役引退をした杉浦正則投手!
引退後は、
日本生命硬式野球部の投手コーチとして、
4年間活動し、
翌年の2005年は、
社業に専念していました!
2006年からは、
日本生命硬式野球の監督に就任し、
社会人野球日本選手権大会では、
チームを決勝まで導いています!!!
結果は、
準優勝に終わってしまいましたが、
2009年シーズン終了後まで、
監督としてチームを支え続けました!!!
日本生命硬式野球の監督を退任して、
2010年からは、
NHKで高校野球の解説を担当していますね!!!
さらに、
2015年5月からは、
社会人野球日本代表投手コーチに就任しています!!!
そして、
現在はというと、
日本生命で、
法人営業をやっているそうです!
解説者や日本生命の監督、社会人野球日本代表投手コーチと、
たくさんの経験を積んできましたが、
現在は、
普通にサラリーマンをしているようですね!
ただ、
これだけ実績のある人なので、
いずれ再び、
野球に関わる仕事をするのではないでしょうか!!!
社会人野球日本代表の監督になる日も近いかもしれませんよ!(^^)!!(^^)!
経歴やプロ10球団へ行かない理由がヤバイ!
学生時代から、
プロ野球チームからオファーが来ていたにもかかわらず、
アマチュアを貫いた杉浦正則さん!
そんな、
杉浦正則さんの経歴やプロへ行かなかった理由について調べてみました!!!
プロフィール
名前 杉浦 正則(すぎうら まさのり)
生年月日 1968年5月23日(48歳)
出身地 和歌山県伊都郡九度山町
身長 180cm
体重 80kg
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
高校は、
和歌山県立橋本高等学校に進学した杉浦さんですが、
1986年の春季高校野球和歌山県大会では、
優勝投手となり、
高校時代から野球の実力はかなり高かったようですね!
その後、
同志社大学に進学し、
関西学生リーグで通算57試合に登板し、
23勝14敗の防御率1.57と好成績を残します!!!
1990年秋季のリーグ戦では、
5勝して優勝に大きく貢献しており、
最優秀選手に選ばれています!!!
大学時代は、
かなり結果も残しているので、
プロの球団からも声がかかっていたそうですΣ(゚Д゚)
ですが、
自分の実力に自身が持ってなかったそうで、
社会人野球を経由してからプロを目指そうと決めていたそうですね!!
また、
大学時代に出場した、
北京アジア大会で、
監督から、
「このチームは2年後のバルセロナで金メダルを目指すためのチームだ」
と言われたことをキッカケに、
オリンピックへの憧れが強くなったそうです!!!
当時はアマチュア選手しかオリンピックに出場できなかったので、
プロ球団へのオファーは断っていたそうですね。。。
なので、
大学卒業後は、
日本生命に入社し、
社会人野球の世界に入ります!!!
そして、
日本生命に入社して2年目に、
念願のオリンピックに出場します!!!
金メダルを目指し、
挑んだバルセロナオリンピックでしたが、
準決勝の台湾戦で登板するも、
2本のホームランを打たれ、
敗退してしまい、
銅メダルで終わってしまいました。。。。
銅メダルでも、
充分な結果だと思うのですが、
当時の杉浦さんは、
「最強といわれたキューバに勝って、金メダルを取りたいという気持ちがあった。プロはいつでも行ける。オリンピックは今しか行けない」
と語っており、
オリンピックで金メダルを取るという気持ちがより一層強くなったそうです!!!
バルセロナオリンピック直後からすでに、
4年後のアトランタオリンピックで金メダルを獲得することを目標にしており、
チームメイト達がプロ球団へ入団するなか、
杉浦さんはプロへの道は考えなかったようですね!!!
ちはみに、
当時のチームメイトだった仁志敏久選手は、
巨人へ入団し、
その後プロ野球選手として生涯年俸16億以上稼いでいます!!!
プロ野球へ入団し、
活躍するチームメイトには目もくれず、
オリンピックで金メダルという目標に向かって練習を積み重ねてきた杉浦さん!
1996年のアトランタオリンピックに出場します!!!
2度目のオリンピックでは、
決勝戦まで勝ち進み、
決勝戦では、
念願のキューバと対戦しました!!!
もちろん、
杉浦さんが先発で登板しましたが、
2回6失点で降板してしまいました。。。
目標だった金メダルは獲得できず、
銀メダルに終わってしまいましたね。。。
銀メダルでも充分すごい結果なのですが、
銀メダルを目標に、
プロへの入団を断って野球に取り組んでいただけに、
かなり悔しいのではないかと思いましたが、
杉浦さんは、
「自分のなかではすごくうれしかった。充実感のほうが悔しさよりも勝ってた」
と語っていました!!!
悔しいという気持ち以上に、
キューバと決勝戦で戦えたことに満足しているようですね。。。
アトランタオリンピックを終えた杉浦の元には、
ダイエーホークスとメジャーリーグのメッツからオファーがあったそうです!!!
日本の球団どころかメジャーリーグからもオファーがあったなんてかなり凄いですよね!!!
当時28歳ですし、
チャンスは今しかないように思いましたが、
杉浦さんの心の中には、
「まだ金メダル取ってない」
という気持ちが残っていたそうで、
このオファーも全て断っています( ゚Д゚)( ゚Д゚)
これだけのチームからオファーが来ているのに、
断るなんて。。。。。
杉浦さんにとって、
オリンピックへの気持ちは相当なものだったんですね!!!
もはや、
お金ではないんです!!!
そして、
さらに4年後のシドニーオリンピックを目指しましたが、
皮肉なことに、
シドニーオリンピックからプロアマ混合になってしまいました。。。。
それでも、
日本代表に選ばれ、
キャプテンとして臨んだシドニーオリンピックでしたが、
金メダルどころか、、、
メダルにも手が届かず4位に終わってしまいます。。。。
シドニーオリンピックの次はさすがに無理だと思い、
現在引退という決断に至りましたね。。。
なので、
「オリンピックで金メダル獲得」の夢は叶いませんでしたね。。。。
ですが、
銀メダルと銅メダルは取っていますし、
「やりきった」という気持ちもあったそうで、
悔いはないそうですね!!!
その後は、
コーチや解説者、監督業など幅広く活躍していましたが、
野球ファンの間では、
杉浦さんがプロへ入団していたらどうなっていたんだろう??
と未だに語り継がれています!!!
確かに、
チームメイトだった仁志敏久選手がプロ野球界でかなり成功していますからね。。。
仁志選手がこれだけ活躍したのだから、
杉浦さんがプロ野球界へ入っていたらどうなっていたんだろうと考えてしまいます!
そんな、
杉浦さんは、
ファンの間で、
「ミスターアマ野球」
と呼ばれていますね!!!
オリンピックのために、
プロ野球へ行かず、
自分の信念を貫いた杉浦さんの功績は、
今後も語り継がれることでしょう(^-^)
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