こんにちは。
1970年代後半から1980年代に大活躍したマラソン選手の瀬古利彦さん!
国際大会でも優勝していた瀬古さんは、
2度オリンピックに出場しており、
メダル獲得をかなり期待されていましたが、
なぜかオリンピックだけは惨敗しているのです!!!
果たしてその理由とはいったいなぜ??
瀬古俊彦のオリンピック惨敗の結果はなぜ?
プロフィール
名前 瀬古 利彦(せこ としひこ)
生年月日 1956年7月15日(60歳)
出身地 三重県桑名市
身長 170cm
体重 62kg
1970年代後半から1980年代まで日本長距離界を牽引してきた瀬古利彦さん!
国際大会を10度も制すという、
とてつもない実績をもちながら、
なぜかオリンピックでは、
メダルすら獲得できませんでした。。。
フルマラソンに15回出て、
10回優勝するという驚異的な結果を残してきたのにもかかわらず、
なぜ、瀬古さんは、
オリンピックで結果を出せなかったのでしょうか??
そもそも、
瀬古選手は、
1984年のロサンゼルスオリンピックと1988年のソウルオリンピックに出場していますが、
ロサンゼルスオリンピックは14位で、
ソウルオリンピックは9位という結果に終わっています。。。
ではまず、
ロサンゼルスオリンピックでの敗因はなんだったのでしょうか??
瀬古選手は、
ロサンゼルスオリンピックの前の年の1983年2月に、
東京国際マラソンに出場しているのですが、
2時間8分38秒の日本最高記録を達成しています!!!
また、
2時間8分台は日本人初の快挙で、
2時間8分38秒という記録は、
世界歴代3位(当時)という好記録でもあるのです( ゚Д゚)( ゚Д゚)
この優勝により、
世界のトップランナーとなった瀬古選手は、
翌年のロサンゼルスオリンピックでは、
メダル候補と言われており、
大いに期待されていました!(^^)!!(^^)!
そして、
ロサンゼルスオリンピック本番では、
予定通り先頭集団につけ、
いつものようなレース展開で走りましたが、
35kmから40km地点からついていけなくなってしまい、
ずるずると後退して、
14位という結果で終わってしまいました。。。。
いつもの瀬古選手であれば、
序盤は先頭集団につけ、
最後に驚異のラストスパートで勝利するという勝ちパターンがあるのですが、
ロサンゼルスオリンピックではいつものレースができなかったようですね(T_T)
なんせ、
瀬古選手は、
「ラスト400mは敵なし」
と言われるほどラストスパートは凄かったそうですからね!!!
このロサンゼルスオリンピックでの敗因について、
瀬古選手は、
ロサンゼルスオリンピックが開催された1984年は、
年明けから体に倦怠感を感じていたらしく調子が悪かったそうです。。。。
ですが、
それでもオリンピック日本代表ということもあり、
体に鞭を打ってハードな練習を続けたそうです!!!
この年は、
昨年12月に行われた福岡国際マラソンで優勝して以降、
すぐに本練習に入り、
8月までハードな練習を続けていたのですが、
そもそも福岡国際マラソンを終えてから調子を維持し続けようとしたこと自体に無理があったようで、、、、
ロサンゼルスオリンピック本番の2週間前に、
ストレスから血尿が出てしまい、
ドーピング回避のため漢方薬を飲んだそうなのですが、
下痢による脱水症状に悩まされたそうです(;´Д`)
つまり、
ロサンゼルスオリンピックの敗因は、、、
コンディション不良です!!!
後に瀬古選手は、
ロサンゼルスオリンピックが終わってから倦怠感を感じて疲労が抜けなかった時点で、
休めばよかったと語っています!!!
また、
7月の合宿期間中に、
休みをもらうよう頼もうともしたそうですが、
中村監督が癌になってしまい、
休みを頼むタイミングを失ってしまったそうですね。。。
とにかく、
コンディション不良のせいで、
オリンピック惨敗という結果は、
すごくもったいないですよね(;´Д`)
当時、
金メダルも狙える実力があっただけに、
残念すぎます!!!
そして、
14位と惨敗に終わったロサンゼルスオリンピックから4年が経ち、
1988年に行われたソウルオリンピックでも日本代表に選ばれた瀬古選手ですが、
ソウルオリンピックでも9位と惨敗に終わっています(T_T)
ソウルオリンピックでの惨敗に関しては、
これといった敗因はよくわからないですね。。。
単純にピークを過ぎたからといった意見もあるくらいです!!
ただ、
ソウルオリンピックの前年に行われたボストンマラソンに出場した際には、、、
・前年のボストンマラソンを2時間7分51秒の大会記録で優勝したロバート・ド・キャステラ(オーストラリア)
・世界歴代2位の2時間7分13秒の記録をもつ元世界記録保持者スティーブ・ジョーンズ(英国)
・ロサンゼルスオリンピック男子マラソン銀メダリストのジョン・トレーシー(アイルランド)、
など超豪華なメンバーが揃い「世界一決定レース」と言われるほどでしたが、
瀬古選手はこのボストンマラソンでなんと、、、
優勝しているのです!!!
当時世界最強と言われていたスティーブ・ジョーンズ選手は、
「瀬古はグレート。世界ナンバーワンだ。」
と語っています!!!
世界トップランナーが瀬古選手を称賛しているほどなので、
ソウルオリンピックの9位は本当に残念です。。。
オリンピックは一回勝負なので、
メダルを取るというのは本当に難しいことなんですね。。。
世界のトップランナーが集まったボストンマラソンで優勝しているので、
実力は世界トップクラスだっただけに、
本人が1番悔しいと感じていることでしょう。。。
また、
瀬古選手は大学生の頃から凄いランナーで、
1979年の時には大学生ながら、
海外レース初挑戦となるボストンマラソンに出場し、
2位という好成績を残していました!!!
このボストンマラソンでの記録は、
2時間10分12秒であり、
当時の日本学生新記録を叩き出しています!!!
同年12月の福岡国際マラソンでは、
見事、優勝を飾っており、
翌年の1980年に開催される、
モスクワオリンピックの日本代表にも選ばれていましたが、
当時、ソ連のアフガニスタン侵攻による西側諸国のボイコットによって、
モスクワオリンピックに出場することすらできませんでした(;´Д`)
もし、
モスクワオリンピックにでていたら、、、
と考えてしまいますよね。。。
モスクワオリンピックの頃はまだ若かったですが、
それでもメダルを取るくらいの実力はあったと思います!!
ただ、
もしものことをいったらきりがないので仕方ないですよね(T_T)
良いことなのかわかりませんが、、、
おそらく瀬古選手はこの先もずっと、
世界一の実力を持ちながらオリンピックで結果が出せなかった選手として語り継がれるでしょうね。。。
箱根駅伝の記録がヤバイ!
1976年に、
早稲田大学教育学部に入学した瀬古利彦さんですが、
大学生のころから凄いランナーだったんです!!!
中でも箱根駅伝の記録が凄くて、
1年生の頃から「花の2区」を任されており、
3年生の頃と4年生の頃に、
区間新を記録しています!!!
また、
瀬古選手は実は、、、
マラソンを本格的に始めたのは大学生の頃からだったそうです!!!
もともと中距離の選手だったそうですが、
中村監督から、
「マラソンをやりなさい」
とマラソンへの転向を勧められたのがキッカケだったそうですね!
それまでは中距離の選手でしたし、
早稲田大学に進学する前に1年間浪人していたこともあって、
入学当初は約8kgも増量していて太っていたそうです。。。
そんな状態からマラソンを始めて、
1年生の頃から箱根駅伝の「花の2区」を任されるのだから凄いですよね!!!
元々の身体能力がズバ抜けていたのでしょうか。。。
それに、
大学の高学年の頃には、
国際大会にも出場してますからね!!
大学生の頃から世界と渡り合ってきた選手なだけに、
オリンピックでの惨敗は未だに残念に思ってしまいます。。。
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